SCOPE EYE>

 

企業におけるリスク管理のあり方

 

酒井泰弘

Sakai Yasuhiro

滋賀大学教授

 

 

Profile

さかい・やすひろ◇1959年神戸大学経済学部卒業。1971年ロチェスター大学大学院修了、経済学博士。ピッツバーグ大学助教授、広島大学助教授、筑波大学教授などを経て、2002年筑波大学名誉教授、滋賀大学経済学部教授。日本リスク研究学会会長、生活経済学会会長などを歴任し、現在は日本地域学会会長、日本学術会議会員。郵政大臣表彰、総務大臣表彰、日本リスク研究学会賞受賞。主要著書として、『不確実性の経済学』、『寡占と情報の理論』『リスクと情報』、『リスクの経済学』、『生活経済学入門』、『環境の評価とマネジメント』など。

 

 

 リスクの時代と日本の危機

 「こんなヤヤコシイ時代に、よく戻って来はりましたなあ。お宅の家とは、関ヶ原の合戦以来のお付き合いをしとります。これからよろしゅう頼んまっせ」

 私は2002年春、実に35年ぶりに郷里の関西に戻った。関西は関東とは文化と生活が相当に異なる。「これで同じ日本かな」と思うことすらある。とくに、つくばの広々した新しい学園都市から彦根の入り組んだ古い城下町への移動は、少なからざるリスクとストレスを伴わざるをえなかった。

 現代はリスクと不確実性に満ちみちたヤヤコシイ時代である。そのうえ、「日本の危機」が声高に叫ばれている。世界的な週刊誌『タイム』2002年2月18日号の特集記事「日本――陽はまた沈む」は、次のような文章で始まっている。

「日本の上には、過去10年以上の長きにわたって、暗雲が広がり続けてきた。日本は今に至って初めて、この厳しい現実から目を反らすことが出来なくなった。それは、未来が明るくなることは多分ないだろう、という現実である」

 世間では、「失われた10年」という。上述の特集号から約2年の歳月が流れたが、日本の状態はほとんど変わらない。日本が危ない。日本はとにかく元気がない――経済的にも、社会的にも、そして恐らく精神的にも。こういう逆境の時には、人々は起死回生の打開策を求める傾向にある。しかし、窮余の打開策がむしろ逆効果になり、取り返しのつかない状況に追い込まれるリスクが否定できない。

 

リスク管理と資本主義企業

 リスクとは何であろうか。それは厳密に言うと、人間生活や社会経済に確率的にいろいろな影響を与える事象に関して、その発生の不確かさの程度、および結果の大きさの程度を意味する。当該事象が不確かであり、結果が大きいほど、リスクが大きいといえる。ただし、リスクを単にマイナス面だけに限定するだけでなく、プラス面をも考慮することが必要である。

 たとえば、自動車は自転車と比較すると、事故率も被害額も大きい点で、リスクの大きい乗り物である。だが、自動車はスピードがあり爽快だという点では、非常に有用な乗り物である。換言すれば、自動車は自転車よりも「ハイリスク・ハイリターン」の乗り物である。

 同様なことが、「資本主義か社会主義か」というシステム選択についても妥当すると思う。資本主義は社会主義に比べて、企業間の競争を通じて技術革新をもたらし、生産力を発展させるという点では、リターンの大きい社会経済システムである。だが、もし競争があまりにも過度に行き過ぎると、「弱肉強食の世界」が現われ、社会がごく少数の「勝ち組」と大多数の「負け組」に階層分化してしまいかねない。その結果、成員間の闘争とシステム自体の不安定という「システムリスク」が発生する可能性がある。

 このようなことは、企業におけるリスク管理の問題を考える場合に大変重要である。アメリカでよく利用されるリスク管理の方式は、いわゆる「コスト・ベネフィット分析」である。たとえば、数多くの投資プロジェクトの中で「どのプロジェクトがベストなのか」を選定する場合を取り上げよう。この場合に、将来の予想収益額と必要コストの予想額を見比べ、「前者と後者の差額が最大となるようなプロジェクトを選べ」というのが、ひとつの解答であろう。

 ここで問題がいろいろ発生する。第1に、プロジェクトの期間として短期を考えているのか、それとも中期や長期を考えているのか、という問題がある。即効性があると期待されていても、「後は野となれ山となれ」では大変困るだろう。第2の問題は、プロジェクト作成者の性癖として、予想ベネフィットを過大に評価し、予想コストを過小に見積もる傾向の存在である。こういう評価上のバイヤスを減らすためには、企業内にリスク管理を専門とする「リスク・マネージャー」の集団をおき、独立した監査役なみの待遇を与える必要があろう。第3に、利害関係者として誰と誰とを考え、そこにどのようなウェイトをおくべきかという問題がある。経営の安定を中心に考えるのか、株主の利益を最優先させるのか、地域社会への貢献をも考慮に入れるのか、さらには自然環境の保全をも視野に入れるのか。コスト・ベネフィット分析の「科学的適用」といえば聞こえはよいが、実際の運用に当たっては、十分な調査と先見力と柔軟な対応というような「人間的要素」が微妙に絡んでいる。

 

経済力から人間力へ

 日本社会は行き詰まっているといわれているが、本当にそうであろうか。比較の「基準年」をバブル崩壊直後の1990年におくから、その後の期間は「失われた10年」と慨嘆することになるのだ。もし基準年を敗戦直後の1945年に設定するならば、以後の期間は「奇跡の繁栄の半世紀」と形容できるだろう。

 この極東アジアの小さな島国が世界第2の「経済大国」になるとは、半世紀前の何人が予見しただろうか。日本とアメリカとでは、風土も国土も人間も全く異なる。世界がグローバル化しつつあるとはいえ、すべての国の価値観や経営観がひとつのものに収斂するとは到底思われない。

 人間社会の最後の決め手は、やはり「人間力」である。人間が多様であるように、リスク管理の仕方に唯一の「グローバル・スタンダー

ド」があるわけではない。要は、日本人が自分自

身に自信を持ち、「日本パラダイム」を世界に発

信することだ。陽は昇り、沈み、また昇るだろう。