SCOOP EYE 「任せる」司法から「参加する」司法へ |
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そのべ・いつお■1929年岐阜県出身。54年京都大学法学部を卒業し、法学部助教授を経て、70年から東京地裁、高裁判事、最高裁判所調査官など、85年筑波大学教授、87年成〓大学教授、89年から99年まで最高裁判所判事。現在、立命館大学大学院客員教授、住友商事滑ト査役、弁護士。『現代行政と行政訴訟』、共著『オンブズマン法〔新版〕』(以上弘文堂)など。 |
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司法の公正と廉直 いま、政府の司法制度改革審議会の審議が大詰めを迎えつつある。近くその最終報告が発表されるので、司法関係者の関心は高まっているが、肝心の国民はこの問題にどの程度関心があるだろうか。法曹というのはもともと司法の役人のことで、いまは弁護士も含めて法曹というが、司法改革はこれまで、法曹関係者の内輪の問題として取り扱われがちであった。誤判問題のような「事実を眼前に踏まえて、司法改革に手を延ばして行かなければ、世論は盛り上がらない」(正木ひろし『弁護士』137
頁、旺文社文庫)。 私は、最高裁の機構改革は、司法改革の要めと思っているが、今回の司法改革論議からは外されている。司法権の独立について国民の信頼は揺るがないが、最近、裁判官と検察官の癒着を疑わせる事件が起こったのは残念なことであった。司法部も行政部と同様、人間であるから不祥事が全くないとは言い切れない。裁判官については、検察官と異なり、裁判所当局が自ら懲戒権を発動して行う懲戒としては、戒告または1万円以下の過料しかない(裁判官分限法2条)。裁判所当局は、裁判官に対して部内の懲戒処分による罷免はできず、国会の訴追委員会に対して国会の弾劾裁判所の弾劾による罷免を期待して、国会の訴追委員会に訴追を請求することができるだけである(裁判官弾劾法15条3項)。検察官と違って、また戦前の判事懲戒法とも異なり、裁判官については減俸や停職の懲戒処分は規定されていない。懲戒制度を置く以上は、懲戒犯の構成要件と懲戒罰とはバランスのとれたものにすべきであり、身分保障の観点からすれば、風評によって引責辞職に追い込まれるような雰囲気は望ましいことではない。司法改革の一環として裁判官の増員が叫ばれている今日、優れた法律家から裁判官を選任する法曹一元の制度も含めて、世界に誇ることができる日本の裁判官の公正廉直の伝統を維持する方策を考えなければならない(日経2001年4月8日「視点・争点(藤川忠広)」参照)。 大きな司法か小さな司法か 行政改革は行政の肥大化を防いで、効率的な政府を作ることが主眼であった。司法も国民の税金で支える仕事であるから、行政改革と並べて考えると当然小さな司法ということになる。しかし、これまでのような小さな司法では、国民に対する司法サービスに欠けるというのであれば、大きな司法というのではなく適正な規模の司法は必要であろう。問題は何が適正規模かである、司法改革審の中間報告では、近い将来、毎年3000人の法曹を新しく世に出すことを考えている。西欧諸国に比べると、人口比で見ても決して多い数字ではないし、日弁連も賛成しているのであるから、その方向で実現するかも知れないが、弁護士の活躍する領域がこれまでとは違って来るかも知れない。特に企業と弁護士との接触の度合いが大きくなり、企業内弁護士の数が格段に増加することも予想される。弁護士相互の競争も激化し、弁護士の専門化や、隣接法律職とのより緊密な提携や、法律職相互のバリアフリーも当面の重要な課題となろう。法律事務所の法人化に伴い、隣接法律職との共同による法人の巨大化ということも考えられる。 弁護士経験がなければ裁判官に登用しないという、英米流の法曹一元も司法改革の課題であるが、この目標の実現はかなり難しいと思われる。しかし弁護士から裁判官に任用する弁護士任官の制度はこれまで以上に活用されるようになると思う。また判事補制度廃止の声もあるが、当分は、判事補時代に法律事務所や一般社会の経験を積ませるという形になるかも知れない。弁護士任官や判事補の外部出向を促進するためには、法律事務所の肥大化、企業化、法人化が必要となってくる。訴訟社会における法律事務所の規模と役割り、そしてその位置付けが、これまでとはかなり違ってくるのではないかと思う。 異なった法文化と司法改革 日本の法律制度は近代化されて百年を越えるが、法は社会の反映であるから,演歌の雰囲気が濃厚な日本の情緒社会と西欧的な訴訟社会とは、かなりの開きがある。島国の中だけで生活して来た時代と異なり、21世紀は国境を越えた国際的な法的紛争の中に誰もが巻き込まれる時代となる。どんな事件でも、まず弁護士同伴で立ち向かう姿を見せなければ,初戦で敗退する。人情に支えられた日本社会の良さを維持しながら、他国の異文化を起源とする訴訟社会を如何に生き抜くか。医療と同様、法律問題も症状がこじれないうちに、専門家に相談することが必要であるということになろう。 日本には昭和3年から昭和18年まで刑事事件の陪審制度があった。いろいろ問題もあったし、戦争末期に停止されたが、とにかく陪審制度の経験はあった。西欧の陪審はそれぞれの国によって違うが、事実認定について素人から選ばれた陪審員の評決に任せる「陪審」と、選ばれた素人が裁判官の仕事に参加する「参審」がある。日本ではアメリカの陪審がよく知られている。陪審も参審もそれぞれ一長一短あって、余程考えて制度を作らないといけない。日本の司法は、これまで職業的(または官僚的)専門家に任せる司法であった。陪審・参審は参加する司法である。どこまで任せるか、どこまで参加するかということのほかに、民主主義には、どのように立派な制度でも任せきりは出来ない、という思想があることも念頭に置かないと、議論は堂々巡りになる。 司法を担う専門家集団をどのようにして育成し選抜するかということも、これからの大きな課題である。明治以来、日本では、大学の法学部が、法律家育成の中心的な役割を担って来た。しかし、司法試験受験の仕組みと大学の法学教育との乖離が甚だしくなり、アメリカのロー・スクールや、日本の医学教育に近い専門技術教育の導入が議論されている。日本の法学教育にとって画期的な改革であるが、司法試験の門戸開放の要請もあり、実現には、なおかなりの曲折が予想される。 大きな司法が将来、日本の国民にとってどういう効果をもたらすことになるのか分らない。今は、日本の経済の状況を考え合わせながら、まず実現可能なことから、手を付けるほかはない。その間に、日本の司法にとって、どのような大きさのどのような形の司法がよいか、具体的に審議する場が必要である。そのための途を将来に向けて開いた司法制度改革審の努力に敬意を表したい。 |
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