SCOOP EYE
情報の時代と専門家の時代

樋口範雄

 

■ひぐち・のりお■1951年新潟県生まれ。1974年東京大学法学部卒業。学習院大学法学部教授を経て、1992年から東京大学法学部教授(英米法)。
主な著書に、『アメリカ契約法』(弘文堂)、『フィデュシャリー[信認]の時代』(有斐閣)、『アメリカ信託法ノート』(弘文堂)がある。

                                                                                                                                   

 

IT革命
 世はあげてIT,ITである。「IT革命」は2000年の新語・流行語大賞を受賞し、政府は、「IT戦略本部」を内閣に設置した。設置の際の趣旨説明を読むと、わずか2行の文章の中で「IT」が4度も繰り返されている。
 もちろん「IT」はアイティと読む。英語で、That's it.は「まさにそれだ」という意味もあるが、「もうこれで終わりだ」という場合もある。4度も繰り返されると後者のような気もするから、イットとアイティの違いは大きい。
 ITは、information technologyの略語である。
 情報化の進展はすべての人に影響を与えるので、専門家とてその例外ではない。ここでは、2つだけ例をあげよう。
インターネット情報の衝撃
 野口悠紀雄氏の『超勉強法――実践編』には、大学院の学生が夏休み中をかけて方々の図書館等を訪ね回り、アメリカのリバース・モーゲッジについて調べた話が出てくる。
 その報告を聞いた後、試みにインターネットでアメリカの都市住宅開発省のホームページにアクセスし、HECM(Home Equity Conversion Mechanism)というキー・ワードを入れて検索してみると、あれだけ苦労してたどり着いた資料がものの2分で出てきたという。
 別の学生の一人は、「この資料を翻訳すれば、それだけで修士論文がすぐにできてしまいますね」という形でその驚きを表現し、さらに別の一人は、「でも、誰でも簡単に資料が入手できるようになったのだから、もうそれだけでは論文にならないのでは? 」と応じた。
 大学院の修士論文が専門的な論文であり、それを作成する学生も専門家への登竜門をくぐった一員だとすれば、情報の時代は、専門家の意義が問い直される時代でもある。
 情報へのアクセス能力の優秀さで専門家だと胸を張っていると、たちまちその看板を降ろさざるをえなくなるからである。


医師の専門性の意味
 同様の話が、アメリカの医療過誤訴訟に関しても存在する。
 アメリカでは、医療過誤があったかなかったか(医師の過失の有無)を判断するにつき、local standard rule (地域基準ルール)とnational standard rule(全国基準ルール)との争いが存在した。
 たとえば、医者の手術がうまくいかず、患者が死亡した場合、遺族が医者を手術ミスだといって訴えることがある。
 その際に、地域基準ルールをとる州では、当該地域の医師がどのような手術を行っているかが基準になり、それを下回るようであれば過失ありとされる。
 逆に言えば、要するに、田舎の医師は田舎の医師の基準で判断されるのであり、都会ではすでに相当に知られている新しい手術方法など知らなくとも、過失はなかったとされるのである(私は田舎の出なのであえてこのような表現にした。田舎のお医者さん、ごめんなさい)。
 これに対し、全国基準ルールは、全国で一番低い基準ではなく、他州の有名な大学病院で行われているような手術方法が基準になりうるとされ、一般の医者には厳しい基準とされてきた。そして、かつては、地域基準ルールがどちらかといえば優勢だったのである。
 だが、もはやそういう時代は去った。
 その動きを進めた1つの要因が、MEDLINE と呼ばれるデータベースの発達である。どんな田舎にいようと、今では、机上のパソコンから数百万の症例と数千の医学雑誌を検索することがたちどころにできる。
 しかも、それらは今や無料で誰にでも提供されている。
 医療過誤訴訟になれば、原告は、なぜ非専門家である自分でもできるような調査をしないで、旧式の手術をしたのかと攻撃するであろう。
 ここでも、一方で、専門家であるといえるためには最新の膨大な情報へアクセスしなければならないという事態と、他方では、それにもかかわらず情報へのアクセスの優位によって専門家を特徴づけることができなくなったという皮肉な状況があらわになっている。

専門家の再定義
 では、情報の時代は専門家の時代を否定するかといえば、そうではない。むしろ真の専門家にとってかつてない好機である。
 本当の専門家には、次のような資質が必要とされる。
 @ 膨大な情報を取捨選択し、専門的裁量によって、それを分析する能力。
 A 情報分析の過程と結論を、非専門家にわかりやすく説明する能力。
 さらに、あまたある専門家、あるいは自称専門家の中で、医師や弁護士や会計士などは素人の依頼人から特に信認を受けて活動する人たちであり、しかも社会的にもきわめて有意義な専門的職業であることから、アメリカではfiduciary duty(信認義務・受託者責任)と呼ばれる次のような義務が課される。
 B 忠実義務(依頼人のためだけに活動し、自分や第三者の利益を図ることをしない)。
 C 情報開示義務(何らかの利益相反の関係を有している場合には、それを依頼人にあらかじめ明らかにしておく)。
 D 独立した判断を行う義務(忠実義務によって依頼人のためだけに活動する義務を負うものの、そのことは依頼人の言いなりになることを意味しない。たとえば、依頼人の違法行為に荷担するのは真の専門家たりえない)。
 
 情報の時代は、専門家の意義をあらためて問い直す時代でもある。
 そのことについて日米で違いはなく、わが国においても、真の専門家責任の確立が喫緊の課題となっている。