スコープ・アイ

                                                

  土田 正顕

東京証券取引所理事長

                                                                                                                                   更新11月14日


 
ディスクロージャーという言葉は,今では日本語としてほぼ定着した。しかし,今から20年前には,多くの人々には耳新しい言葉であった。そのころの思い出話をしてみたい。
 私は,「銀行法」(昭和56年法律第59号。昭和2年のカタカナ銀行法の全面改正)の立案の時に担当課長として作業に参画した。
 その内容は金融制度調査会の答申を法文に置き換えることだった,と言えば翻訳作業だけのように聞こえるかもしれないが,実際には健在かつ強力だった銀行界に納得してもらうには大層難儀をした。以下の話は,その中のひとこまである。
 ディスクロージャー規定新設の提案
 法文化しようとした提案の中に,銀行に対して,商法にも証券取引法にもない独自のディスクロージャーの規定を新設しようとする項目があった。その趣旨は,株主や投資家ではなく銀行の多数の利用者に対して,銀行の経営姿勢をその実態に即して明らかにすることにより,銀行経営の自己規正(交通規制の規制ではなく,政治資金規正法でいう規正)の努力を求め,これを通じて,銀行の経営姿勢への利用者の理解と支持を求める行動をうながそうというものである。
 その立案の背景には,昭和40年代末期の石油ショックや狂乱物価の際に燃え上がった大企業批判への反省があり,たまたま米国の銀行の中に地域社会への資金還元とかマイノリティーへの配慮とかの経営姿勢を開示している実例があったので,それにもヒントを得て,法文の中に一種の責務規定を取り込もうとしたものであった。本音を言えば,国会での野党の要求にこたえるためという事情もあった。
 反論もあり悩みもあり
 しかし,このような企図に対しては,ただちに銀行界などから反論が持ち上がった。何で銀行だけにディスクロージャーの責任を加重するのか。経営内容のディスクロージャーは商法や証券取引法のマターであり,銀行法に書くのは筋違いではないか。経営姿勢の改善のためならば,当時の銀行局が得意とした行政指導を強化すればすむことではないか,等々である。
 銀行は,銀行であるがゆえに経営内容を積極的に開示する必要があるのかどうか。これはたしかに哲学的・原理原則的な対立点であろう。それまで半世紀以上にわたって銀行を規律した昭和2年の銀行法の規定では,銀行の経営内容を開示することにはきわめて慎重であって,たとえば商法等に規定する少数株主の帳簿閲覧権を銀行については否認している。これは,当時は1,000 行以上もあった弱小な普通銀行が,地域の利害関係者や門閥に揺さぶられて信用不安におちいることを防ごうとしたものではないかと思う。そのかわりに,経営の健全性を担保する役割を国や地方長官(国の機関である知事)の監督に期待したものであろう。(余談になるが,この否認の規定が現行法でも存続している以上は,銀行の経営内容のディスクロージャーにはこれと平仄を揃えた節度があってしかるべきだと,私は思っている。)
 余談はさておき,課長である私自身,課長補佐時代にはカタカナ銀行法の精神教育を受けていたので,内心ではこの社会派的なディスクロージャー立法の企図にはにわかに乗りかねるという悩みがあった。
 実地に乗り込んだ課員の見聞は
 そのためらいを振り切れたのは,当時わが課にあってディスクロージャーを担当していた掘野郷君(現在は日本政策投資銀行管理部長)の突進のおかげであった。
 彼は,商法の当時の規定にあった「計算書類の備置・公示」の運用実態がいかなるものかを自分の目でたしかめようと思い立ち,一般の「株主及会社ノ債権者」として丸の内・大手町あたりにある天下の大銀行3か所の本店を訪問して,「書類ノ閲覧ヲ求メ」た。
 すると,彼は銀行の総務部らしい部屋に案内されて,まず本人の素性や要求の目的を繰り返し質問された。彼はその問には答えずに,「商法に書いてあるから見せてもらえると思っている。」とだけ言っていたそうである。この珍客に銀行側は鳩首協議の様子であった。その間にも部屋にはいろいろな人が出入りして,中には封筒をもらってお辞儀をして帰ってゆく者の姿もあったらしい。彼は社会見学もさせてもらえたわけである。
 ともかく,「書類」にたどりつくまでには平均して30分間はかかったという。もっとも,明治以来の特殊銀行の歴史を持つ某行では,わりあいあっさりと書類を見せてくれたそうで,そのあたりはお家流もさまざまであるというようなことだった。
 報告に励まされて立案を決意
 この放れ業の報告を聞いて,私は,商法の規定は,われわれが目指しているディスクロージャーの面では機能していないという認識を持った。
 ディスクロージャーのもう一つの根拠法は証券取引法であるが,普通銀行には非上場会社も多少はあったし,まして各種金融機関の通則とすることは証券取引法では無理である。
 そこで,保守派の私もハラを決めて,銀行法独自のディスクロージャーの規定をかつぐことにした。
 もっとも,それからの作業も難行苦行の連続であり,ほかにも銀行・証券界との大きな対立点があったりして大蔵省は苦しみぬいたが,ともかくも滑り込みの恰好で銀行法案は昭和56年の通常国会で成立した。
 その後,日本独自と言ってもよいディスクロージャーの規定は,姿を大きく発展させつつ,今でも銀行法第21条(業務及び財産の状況に関する説明書類の縦覧等)の中に原文の名残りをとどめている。往時をふりかえってみれば,老生にもいささかの感慨なきを得ない。