スコープ・アイ

 

 

吉川 洋

東京大学教授

 


 1997年、98年と2年度連続マイナス成長に陥った日本経済の回復基調も今年に入ってからはかなりはっきりしたものになってきた。景気の動きに遅れる傾向のある失業率も3月の4.9%をピークにようやく下げに転じたかのようである。8月11日の「ゼロ金利政策」解除は、日銀による「梅雨明け宣言」と言えるだろう。
 それにしても一息ついて過去10年をふり返ると、日本経済の長期低迷にあらためて驚かされる。90年代の平均成長率(実質GDP)は1%だが、これは第一次オイル・ショックの後70年代の中頃から1990年までの平均成長率4%のわずか4分の1の水準だ。日本より成熟しているといわれる米国経済は90年代に3%成長を実現した。
 このように90年代の日本経済の1%成長は、日本の過去と比べても、また欧米先進諸国の実績と比べても際立って低い。当然のことながらなぜ日本経済はこれほど長い間低成長に甘んじてきたのか、なにが悪かったのか、低成長から脱却するためにはなにをすればよいのか、ということがさかんに議論されてきた。


 「供給」サイド対「需要」サイド
 「供給」サイド、「需要」サイド一体どちらに問題があるのか。これはここ数年の日本経済をめぐる議論のなかでしばしば登場した「切り口」である。供給サイドを重視する論者はコーポレート・ガバナンス、規制、雇用慣行など日本経済が抱える「構造的」な問題を指摘し、その改革を最大のアジェンダとしてきた。これに対して「需要派」は需要不足こそが長期不況の原因だと主張してきた。議論は必ずしも生産的なかたちでなされてきたわけではない。とりわけ財政支出をめぐっては、需要不足を解消するためなら公共事業の「ばらまき」もよしとするのかといった「ばらまき是非論議」がいまも繰り返されている。
 わたしは「構造改革」論者の主張の多く、たとえば規制緩和は正しい議論だと思うが、それにもかかわらず日本経済の長期低迷の主因は「需要不足」にある、と考えている。だからといって需要をつくり出すために公共事業をばらまけばよいと考えているわけではもちろんない。経済にとって「需要の創出」とはいったいなにを意味するのか、考えてみることにしたい。


 需要がリードする成長
 個々の財サービスの需要がはじめのうちは高い伸び率を示してもやがて必ず鈍化することはよく知られている。テレビや自動車など、耐久消費財はもちろん鉄など素材についてもその成長はS字を描く。人類にとって最も古い産業である農業の生産物を主とする食費の所得に占める比率が所得の高まりとともに低下することを示した「エンゲル法則」は、S字成長を食料品について確認したものである。しかしこのことは決して食料品だけに当てはまるわけではない。パソコンでも携帯電話でも必ず成長が鈍化する日をむかえるに違いない。成長鈍化を克服するための手段としては、既存の商品の品質改良や新商品の開発が考えられる。いずれもそれが需要の伸びを押し上げるかぎりにおいて企業にとって活路を開くものとなる。
 経済全体でも同じことが当てはまる。新商品の登場はもちろん、一国経済全体では新産業の創出や交通・通信などインフラの整備が新しい需要を創出する。
 1960年前後になされた石炭から石油へという「エネルギー革命」を思い出してもらいたい。それは単にサプライ・サイドでエネルギー源が変わっただけでなく、モータリゼーションの進展、プラスティックなど新素材の登場をとおして莫大な需要を生み出した。それが高度成長を支えたのである。


 「構造改革」と需要
 需要が伸びないかぎりさまざまな「構造改革」が実行に移されても結局のところそれは「ゼロ・サム・ゲーム」に終わってしまう。それどころか個々の企業の体質を強化するための合理化やリストラは、マクロ的には「負の外部性」をもつ可能性すらあるのだ。たとえば雇用調整は1つの企業にとっては合理的であるかもしれないが、それがマクロ・スケールで行われれば失業率が上昇し所得が伸び悩み、「消費不況」として戻ってくる。
 需要の伸びの大きい新商品の開発は企業が行うが、マクロの需要は個々の企業の手に負えないさまざまな要因にも依存する。「構造改革」論者が強調する規制緩和もその1つである。規制緩和は新しい需要の創出をとおして「プラス・サム・ゲーム」につながるのである。
 新しい需要は文字どおり新しい商品の登場のみによって生み出されるわけではない。たとえば、住宅。衣食は足りたが、日本の住はいまだに他の先進諸国に比べて貧弱だということは長く指摘されてきた。残念ながらこの指摘はいまでも当てはまる。住宅のコストは都市計画、税制、交通手段の整備など、さまざまな要因に依存して決まる。IT革命とともに在宅勤務が拡がり、しかも高速の交通手段が整備されれば、21世紀には現在われわれが常識的に考えている大都市周辺の「通勤圏」は驚くほど拡大するかもしれない。そうして住宅コストが低下すれば「住」に対する需要は新しいS字カーブを描き始めるに違いない。
 高齢化は日本の経済・社会に対してさまざまなチャレンジを投げかけているが、それはまた新しい需要の「芽」でもある。介護ロボットの開発やバイオ・テクノロジーが「未来」を指し示す一方、現実には高齢者を拒否する「歩道橋」が町にはあふれている。この溝を埋めることが「需要創出」にほかならない。
 需要の創出は決して無意味な公共事業をばらまくことではない。そのようなことを繰り返しても日本経済に明日がないことはいまやすべての人が理解しているはずだ。幸いITやバイオをはじめとする技術の目ざましい進歩は、住宅・高齢化対策、教育、環境など21世紀にわれわれが真に必要とするニーズに対して新しい可能性を開きつつある。日本経済再生への道は、そうした潜在的な需要を絵に書いた餅に終わらさず、現実のものとするところにあるのである。